This Archive : 2009年09月05日
私がぬー坊を産んだ産院は自宅から徒歩三分。
おじいちゃん先生がこの場所に病院を開き、若先生が後を継いだ親子二代の病院。私が妊娠中、息子に院長職を譲ったおじいちゃん先生は週に一~二回、午前中だけを担当し、私も最後の二回はおじいちゃん先生に見ていただきました。
実は七月の終わりにお亡くなりになっていたことが判明。
近所ですが、ワンブロック違うのと、ご本人の希望でひっそりと葬儀をされたとの事で、お義母さまも知らなかったみたいで、最近人づてに初めて知ったそうです。
保育園の帰り「ぬー坊、ちょっと遠回りさせてね」と病院の前を通ったら、その旨貼り紙をしてありました。
私が入院した部屋には灯かりがついていて、誰かがそこで生まれたての赤ちゃんと不思議な五日間を過ごしているのでしょう。私が入院した頃、おじいちゃん先生は元気で、記念品の写真立てに、赤ちゃんの足型と並べて飾る記念写真を撮りにお部屋に入っていらっしゃいました。
知っている方が亡くなるのは寂しいことです。
何回かしかお話したことはありませんでしたが、私にとって、息子と言う新たな命に出会った、特別なあの場所で会った人だったから、何だか余計悲しくなってきてしまって。
ご冥福をお祈りします。
おじいちゃん先生がこの場所に病院を開き、若先生が後を継いだ親子二代の病院。私が妊娠中、息子に院長職を譲ったおじいちゃん先生は週に一~二回、午前中だけを担当し、私も最後の二回はおじいちゃん先生に見ていただきました。
実は七月の終わりにお亡くなりになっていたことが判明。
近所ですが、ワンブロック違うのと、ご本人の希望でひっそりと葬儀をされたとの事で、お義母さまも知らなかったみたいで、最近人づてに初めて知ったそうです。
保育園の帰り「ぬー坊、ちょっと遠回りさせてね」と病院の前を通ったら、その旨貼り紙をしてありました。
私が入院した部屋には灯かりがついていて、誰かがそこで生まれたての赤ちゃんと不思議な五日間を過ごしているのでしょう。私が入院した頃、おじいちゃん先生は元気で、記念品の写真立てに、赤ちゃんの足型と並べて飾る記念写真を撮りにお部屋に入っていらっしゃいました。
知っている方が亡くなるのは寂しいことです。
何回かしかお話したことはありませんでしたが、私にとって、息子と言う新たな命に出会った、特別なあの場所で会った人だったから、何だか余計悲しくなってきてしまって。
ご冥福をお祈りします。
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